2011/09/28

カバンのなかの月夜/北園克衛


カバンのなかの月夜―北園克衛の造型詩
金沢 一志監修/国書刊行会

針金、石ころ、洋書の紙葉…などの手近な素材を組み合わせてつくった
小さなオブジェのアルバム。
といってもこれは、北園克衛の造形詩。文字を使わない詩です。
言葉がなんだかうるさいなあ、って時にはこれを。
これらの写真を通して、詩人の感受性にふれることができるのです。
生誕百年を超えても色あせない、スタイリッシュな感性にシビれます。


好きな詩人はあまり多くないんですが、その中で北園克衛は大好きな詩人の一人。
絵を描くように言葉をつかう、その詩がかっこいいのです。

詩のようなオブジェ=写真、というより、これらは詩そのものです。
北園本人も、これは詩であると言い切っています。
「プラスティック・ポエム」と呼ばれる造型詩です。



同人誌「VOU」の表紙。北園克衛は編集者でもあり、グラフィックデザイナーでもありました。

写真の質感もまた、何ともいえず素敵。


最近評価の高い、若い詩人の詩集を読みましたが、
ちょっと私には合わなくて、なんだかうるさく感じてしまいました。
センスも良くて、決して言葉数が多いわけでもなく、
作品として質の高い物だということは理解できたんですが…

「岩波文庫の赤帯を読む」を書いた角谷建蔵さんが、同書の中で岩波の赤帯のことを
「現代作家がほとんど入っていないのがいい。現代作家が交じっていると、現実を呼びさまされるようで、うるさい」と言っていますが、それと似たようなことなのかなと思います。

あるいは、たとえばボールを投げかけられたとき、
手元までがっつり届いてくるものよりも
少し手前にすとんと落ちて、その転がったボールを拾いにいく、
そんな感覚が私は好きなので、そういう表現をする作家の作品が肌に合うのです。
北園克衛は、そういう感覚をもって読むことができます。
うるさいと感じるのは、こちらの胸元にまでボールを放ってこられる時なんだろうと思います。

サイモン&ガーファンクルの「The Sound of Silence」という、よく知られた曲があります。
日本語で言うと「静寂の音」。
巷には音があふれているが、コミュニケーションの希薄な中でそれは意味のない音だと。
その中での疎外感を歌っています。

そういうことなら、「うるさい」と感じるものは「何も聞こえてこない」退屈なものでもあるかもしれません。

(実際、この曲のライナーノートには、「この曲の詩は謎のまま終わっている、聞き手にそれぞれの意味を探ってもらうのが一番いい」と書かれていますが…。)

文学や芸術を楽しむには、受け手の努力も少しは必要だろうと思います。
しかし、それを送り手に強いられるのは嫌。
ここらへんの匙加減が、センスと言えるのかもしれません・・・



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